千年幸福論

父が命を絶ってから一週間が過ぎた。三日三晩号泣し人生で一番悲しんだが、今はある程度落ち着いてきている。それは母親が家を暗い雰囲気にさせないため気丈に振る舞っているおかげだったり、俺がもう本格的に死のうと考えている所為だったり、抗うつ薬で感情が曖昧になっていることによるものだろう。とにかく現実感が無いせいで常にぼーっとしているが、人が死ぬとやらなきゃいけないことが(それこそ死ぬ程)出てくるので無理矢理にでも体を動かさなければいけない。その後にでも死ねば良いと思っているが、弱音を滅多に吐かない母が俺が死ぬなら一緒に死ぬと言っていたので、そんな母を悲しませるのだけは少し罪悪感がある。

父が死ぬとは一切想像していなかった。死ぬに至った理由は伏せるが、家族の誰にもそんな素振りを見せず、俺達が諸々の手続きがしやすいよう用意周到に身辺整理までされていた。本当に最後まで家族思いで優しい人だった。若い頃は少し不安定だったようだが俺のように医者に掛ることもなく、辛さを吐露することも全く無かった。そして周りに仄めかすこと無く、一回で(若い頃には未遂があったようだが)首吊りを成功させた。俺と父は似た部分多いがそこだけは決定的に違っていた。だが未遂を繰り返している自分でもやればできるという勇気は貰えたのは良かったかもしれない。
昔、父はほんの少しだけ怒りっぽかった。最近、特に俺がこんな風になった高校以降は全く怒る事がなくなり、むしろ破滅を繰り返す自分に優し過ぎるくらいだった。そして会社を辞めた後に話をした時に「悪い所ばっかり俺に似ちゃったなあ」と申し訳なさそうに呟いていた。今思えば俺がこんな精神になったことを自分の遺伝子のせいだと思って罪悪感を感じていたのかもしれない。確かにそういう部分もあるにはあるのかもしれないが、ならば最期まで責任を持って面倒を見て寄り添って欲しかった。遺書にはこれからの俺に対しての応援の言葉があったが、自分が自死しても俺が生き続けると思ってるならとんだ思い違いだ。それかもしくは俺は何があっても首を吊れないヘタレだと思われているのかもしれない。
母曰く自死遺族は悲しみの次に怒りのフェイズが来るらしいからなんでも話そうね、とのこと。確かに怒りまでは行かないがそんな感じの感情が湧き始めた所ではある。そんなことよりも怪しいものに繋がってしまう前に母に色々と調べさせるのを辞めさせるべきかとも思ったが、"自死遺族"でググると上から下までずらっと地方自治体のサイトばかり並んでいて少し安心した。どれも似たり寄ったりなことしか書いてないが、怪しいものへのアクセスをしづらくさせているという点で正しく福祉の形をしているなあと思った。

家族については本当に仲が良い家族だと思っている。だが今回をきっかけに母と心の内を明かし合って、知らないことがたくさんあることを知った。父がバツイチだったことも知らなかったし、元妻が母の友人だなんてドラマみたいな話だ。不妊治療を経て産まれた子が病気を患っていて数ヶ月で亡くなり、そこから折り合いが悪くなり離婚したらしい。そして母が俺の前と妹の後で2回も流産の経験があることも初めて聞いた。中学の時に死んだ祖父は闘病の末に死んだのだと思っていたが、本当は首を吊っていたなんて一切勘付きもしなかった。それもこの家で。この家では2人も首を吊り、祖母は夫と息子に自死で先に旅立たれていることになる。それでも何とか生きているので祖母は本当に強い人だと思う。俺も死ぬので冨田家の男子は三世代同じ家で首を吊って死ぬことになる。スピリチュアルな事を言うつもりは無いが遺伝の強さには驚くばかりだ。また母と母の姉が彼女らの父親と裁判の末絶縁していたことは偶然見つけた書類で知っていたが、その偶然が無ければ知らないままだっただろう。つくづく男が狂っている家系だ。
これだけ家族について知らないことがあるのも、俺が自分のことで精一杯過ぎて周りを全く見ていなかったからだ。もう少し家族と接していれば、精神が安定して会社を辞めなければこんなことにならなかったのではないかとずっと考えている。こんなに書き過ぎたら怒られるかな。俺は人に物語として消費(それも死後に)されたら化けて出るほどキレるが、そんなことを思っていながら家族のことを不幸自慢に使っている。

こんなこと仲の良い友人に吐き出せばそれで済むのだろうが、自分は本当に冗談抜きで友達がいない。その分家族との結びつきも強かったのだがそれすら失ってしまった。母は第一発見者で、死後の手続きの忙しさによって明らかに憔悴しているし、祖母も最近かなりボケてきて大変だ。俺はと言うと父が亡くなった所で自分の生きづらさや症状に変化が起きるわけでもなく、お先真っ暗なことに変わりは無い。ただしっかりと自死を全うできた人間をこの目で見たので次こそは絶対に失敗しない自信が湧いてきた。
父が遺した写真に家族7人が笑顔で写っているものがあった。いつまでもこんな風に笑いあって幸せに生きていたかったな。